3月12日には休暇を取り、かつて同じプロジェクトチームで一緒に仕事をした二人の先輩と会いに行きました。そのプロジェクトチームがあったのは今から十数年前の話で、二人はそのチームでチームリーダーと主任の立場にあり、僕は当時、チームの末席にあって、二人とはだいぶ年齢が離れています。二人は既に退職し、今は新天地で活躍しています。
当時、そのプロジェクトはトップの肝煎りではじめられたものであり、大雑把かつハードルの高いゴール設定がなされ、そこまでの道筋はお任せという感じの事業でした。そのため、事業がはじまると、さまざまな問題が発生しましたが、そのときのプロジェクトのメンバーは優秀で、何とか事業が頓挫することなく進んでいきました。
数年後、プロジェクトは一定の成果を得たものの、継続するには費用対効果が見合わず、トップの関心が薄れ、その後、トップが変わったこともあって、中核の事業に育つところまでは至らずに終了しました。ただ、異分野から集められたその時のメンバーにとっては、お互いに良い刺激になったようであり、その後、別な分野に散じてからも、時々集まっては当時の苦労話を語り合っていました。
そういうプロジェクトのメンバーも一人、また一人と職場を去り、今や職場に残っている方が少数派になってきました。当たり前ですが、自分も組織人生は折り返しを過ぎ、お世話になった上司や先輩はどんどん少なくなっています。
当時は当時でさまざまな苦労がありましたが、ある意味、社会全体は高度成長やバブルのころのイメージを引きずることが許された、ある意味、のりしろのある時代であったと思います。今は、明らかに社会は下り坂にあり、のりしろはなくなり、社会全体や個々人も余裕がなくなってきて、誰もが過去と比べての現状への不満を持ち得る状況にあります。頼るべき先輩がどんどん去っていく中で、残された自分に、この先の困難が予想される時代を背負えるのだろうかと不安にはなります。
とはいえ、単純に先達の遺した社会の仕組みを継承するだけで良い、幸せな時代は、これまでの歴史においてもほとんどなかったわけであり、これからやってくるであろう、いや、すでに足もとで起きつつある時代の大きな変化に合わせ、自分も組織も変わっていくしかないと思います。
コメント