僕は現実の夢の間にある、今ここにいる僕しか知り得ない、山の稜線上の隘路のような道を一方向に歩み、別世界に至る。
山の終わりは下界へ至るなだらかさを持った山裾ではなく、断崖となって僕の行く手を拒んでいる。現実世界は、はるか下に存在し、そこに戻ることは難しそうだ。
俯瞰して見えるのは、この瑞穂の領邦だ。島国なるがゆえに、統一的な国家であることを求められていない。この領邦の比較第一人者たる中央政府はあるが、あまねく領土を塗りつぶすような統治形態でなく、かつて世界史の地図で見たような、神聖ローマ帝国のような版図である。島国なるが故に、領土を塗りつぶさずとも、一体感を保てるとのことなのだろう。
かつてこの地も、中央政府が領邦を塗りつぶそうと試みたことがあった。近代国家というものは、治外の地を抱えてはならないという大陸的認識のもと、非効率な両方の領土をくまなく整備し、求められるままに社会保障を充実させた。その結果、領土の保全に莫大な費えを要するようになり、中央政府と地方政府の間で負担の押し付け合いに不毛なエネルギーを費やし、国家財政が破たんした。
その後は、領邦の統治はゆるやかになり、中央統治地域である「本土領内地域」は領邦全体の6割となった。残りの4割は、「領外地域」とされ、独立自治政府、一定の財政支援を受けて統治を委任された地方行政受託法人のように、領内地域に準じた行政制度を持っている「準地域」と呼ばれるところもあるが、行政経営が明らかに成り立たないような、人口希薄地域の多くは、役割が限定された非届出の法人や個人により管理されている。こうした地域は「白地」と呼ばれている。
白地の社会保障制度や教育制度は完全な枠外であり、住民登録さえ満足に行われていない。こうした地域の管理主体は、そこから上がる税収だけでは何もできない。そのため、沿岸部にある管理主体の中には安全航行料と称して、通過する船舶から金銭を徴収するところもあらわれた。彼らの行為は海賊に他ならない。海面上昇により沿岸部の陸上交通が分断され、宇宙から降り注ぐ放射線が高いために飛行機の運行も制限される中では、沿岸航路は広域交通ルートとして復活していた。沿岸の小型港も荒天時の避難港として維持される必要もあり、取り締まりを強化して地域自治法人の貴重な財源を奪い、追い詰めて、統治の空白地域をつくることは、かえって治安の不安定化につながる。結局、広域沿岸警備を所掌する警備機関が協議し、安全航行料の徴収に関しては、一定のルールを決めて容認し、指定通関貿易港を利用する船舶に対しては、安全航行料の支払額に応じて港湾使用料を減額することにした。
妙に説明のくどいことに僕の思念の影を見た時、僕は、これが夢であることが夢の中でわかるようになっていた。そうなると、僕はその光景の中に確実にあるのだが、それはテレビの中の僕をみるようなもので、実体感がない。夢は往々にして整合性の取れない筋書になっているが、夢を泳ぐ最中はそれが世界のすべてなので目が覚めるまでは気づかない。その落差が夢を実感させるのだ。夢から覚めた現実は、往々にして安堵の世界である。夢がユートピアであることが少ないのは、自分の思念が生み出すものだからだ。
正直、テレビの中の現実を見せられても、今の自分とは完全に断絶しているから、僕は妙に冷めている。なぜ、このような世界にあるのか。
「これが夢?あまりできのよくない現実のようですね。こうした夢に時間を費やして、今の僕になんの得があるのでしょうか?」
「ここで見ているあなたは、おそらく、別な世界に生きるあなた、なのでしょう。得があることをみるというより、魂の連続性が肉体と離れた別な世界のあなたをみせている。魂は時間軸に細長く存在しているのではなく、大宇宙まで引き延ばされる面的な連続性を有しており、ただ、肉体と結びついている空間においては、これを現実世界として他の肉体と交感する。」
「今のあなたは無数に切り刻まれた時代の中に生きている刹那、肉体の連続性は魂の連続性と全然別なものなのです。魂は無限の可能性の中を泳いでいくことができるし、心が作り上げた世界は実体とは別に無数の世界を作り出している。そこに生きるものにとっては実体であり、どちらが実、どちらが虚、ということはわからなくなっているのです。ただ、今を生きるあなた、肉体に付随したあなたにとって、不連続であることは不都合であるので、連続しているように感じさせられているのです」
「自分は時間を超えて、存在しているように思うのですが。もし無数のブロックの組み合わせというのなら、誰が統御しているのでしょう。」
「統御は必要ないんです。なぜなら、あなたと、あなたの持ち得る物質の感じる時間の感覚が、ゆるいからです。階段を降りるとき、踏み外す、その直前は、あなたは踏み出した先、うけとめてくれる場所があると思い込んでいるでしょう。それと同じです。隙間はゼロではありませんが、この世の覚知できる何物よりも小さい。」
「交感がなければ、魂は絶対の孤独にあり、何らの変化もすることなく、ただ、あり続けます。生死という巨大な苦痛を受けても実体に出てこようというのは、この変化を望む魂の所作にほかなりません。」
「魂は変化をしてその先、何を求めるのですか。」
「決まってます。救済ですよ。」
「救済?宗教じみてますね。」
「求め続けるということは、究極の目的は救済ですよ。安らぎです。」
「そんなもの、僕は求めていない。安らぎに価値はない。そのとき、そのときの生で生きるに足りるものを見出す。僕は次の生を信じ、何事かをなしえたい。」
「生き方としては大事です。ただ、苦しみと楽しみのバランスが取れていればこその余裕であり、苦しみのみなら、実体世界に送り込まれるこそ迷惑です。」
「反論はしません。ただ、取り込まれるつもりもない。救済は弱き者の代名詞。僕はいいとして、どれだけの人間が、救済という甘美な麻薬に金と時間と体をつぎ込み、この世の楽しみを奪われてきたか。」
「救済は、生きがい、将来の夢などというものと同じであり、ただ、努力とか理屈がないことで、何かの積み上げの先、能力や適性の差によって優劣に差がつくものではないことで、能あると信じる多くの人々には毛嫌いされています。でも、そんな、借り物である肉体の差異により、やるべきことが違うというのは、永遠の心の旅の終着点として、ありうることなのでしょうか。肉体の差異により異なるのは社会的使命であり、それは現実世界を持続するために割り当てられた、役割のようなものです。役回りといってもいい。それを生まれてきた目的のように思わせるのは、社会の所作です。」
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