僕は20代までは、毎週土曜日に、全国どこかへ出かけては、翌、日曜日には帰ってくるという生活を繰り返していました。一時期は、土曜日は夜行バスでの車中泊がデフォルトで、家で寝ることの方が少ない、そういう時期もありました。学生時代は、アルバイトは、ラフォーレ原宿のアパレルテナントの展示什器の入れ替えのような、求人票に3時間5千円とか書いてあっても、作業が終われば2時間で5千円もらえる、割の良い単発系のものを主にこなしていましたが、毎週のように全国に出かけていると、いくら稼いでも貯まりません。単発系のバイトなので、その時々でバイトをするメンバーは固定しておらず、ゆえにお互いの素性を深く知ることはありませんでしたが、それでも、頻繁にバイトしていると、いろんな現場で同じ学生と出会うこともあり、そういう人とは何となく知り合いにはなりました。どうも、こうした単発バイトの気楽さに慣れてしまうと、大学卒業後も、その延長で就職せず、単発バイトを続ける、そういう生活をしている人も、当時は少なくなかったように思います。僕の場合は、期するところが別にあり、全国に旅を続けながら、単発のバイトをこなしながら、時には1日に2つ、3つのバイトを掛け持ちしながら、移動時間や早朝の時間を使い、国家資格の勉強をして、何とか合格し、その関係で今の職場に就職することができました。
こうした日本全国を出歩く生活は、社会人になってからも続けていました。この関係では平日の夜もそれなりにイベントがあって、仕事を終えてから向かったりしていたので、今から考えると、20代の後半までは、平日も土日も、ほとんど空いた時間、暇な時間というものがありませんでした。
ここまで入り込めたのは、そこに自分の持てる資源の多くを投入するだけの価値があると考えていたからですが、僕の場合、自分の理解を超えたところに求めるものがある、というようには考えず、空中に浮いているような「正しさ」に対しても、無条件で受け入れず、浮いているところまで自分なりに理屈を積み上げて手が届くようにしていました。当時は、そういう自分から見ると、宙に浮くある種の「正しさ」を無条件で受け入れられる人は、うらやましくもありましたが、今は、自分がこの行動規範を持って生きてきたからこそ、さして体力と気力のない僕であってもいたずらに摩耗せず、ここまで何とかまっとうに生きてくることができたのだと思います。
40代半ばまで、とにかく目の前のことを追い求め、そこに人生の意義をある程度見出し、走り続けているときは、自分が過去、どのような生き方をしてきたのか、これまで積み重ねてきた生き方が、今の自分の人生に直結して、資産として残っているのか、などということは、あまり考えもしませんでした。ここ一年あまり、自分の人生について「棚卸し作業」をする機会に恵まれ、このように過去の自分の足跡をたどると、確かにその時々は、無為に過ごしたわけではないことがわかりました。ただ、例えば小さいころから特定のスポーツに打ち込み、そのままプロスポーツ選手になったり、研究者を目指して勉強してそのままその分野の研究者としての道を歩んでいるというような、過去の資源をわかりやすく承継している人々に比べると、過去の経験がそのまま生きているとは言い難く、他にやることがあったのではとか思いますし、一時期、人生のある選択に悩んだこともあり、その時期も視野を広くする効能はあったかもしれませんが、明らかにパワーダウンしていました。
つまりは、わかりやすく積み上げてきた人生ではなかったわけですが、世の中、自分の行いと結果がわかりやすくつながっていることはほとんどないわけであり、良いと思った結果がその後に災いをもたらしたり、逆に辛い経験をバネにして自分の生き方が変わり、それにより以前に比べて多くの成果が出るということはままあるわけで、そうした揺れ動く人生の中で、多くの人とのご縁に出会い、それにより少なくとも、今は恵まれた生き方ができていると思います。過去を振り返り、そこに後悔があっても、それを良いものに意味づけることは可能ですので、ポジティブな振り返りを、日々生きる糧としていきたいと思います。
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