大学時代は人生について探究することに時間を費やし、学業は二の次だったと思います。資格試験を受ける関係で一定程度専門分野の勉強をしたので、それを大学時代に学んだこととして人には語っていますが、それは受験テクニックに近いものです。大学時代は単発のアルバイトを連日こなしていて、そこで稼いだお金も人生探究に費やしました。社会人になってからも20代の時間が自由に使えたころは、引き続き人生探究に持てる時間とお金を費やしていました。そのころまでは貯金はほとんどなく、全国を旅した経験と、単発バイトで都内各駅をほとんど制覇したことで、駅名を聞けば周辺の街の様子が思い浮かべられることでしょうか。もちろん、都内も街並みは大きく変化していますので、そこはアップデートされていないんですが。その後、縁があって結婚したことで次第に自分の裁量のある時間は少なくなり、人生探究も熱を持ち続けることは難しくなってきたので、今は最小限の付き合いにとどめています。完全にやめられないのは、自分の日々の生活に全投入することの先に、本当の幸せがあると思えないからでしょうか。同じように学生時代、人生探究に資源を投入してきた人の中には、完全に関係を断ち切る人も少なくなく、完全にベールで覆って黒歴史扱いしている人もあり、自分の履歴に組み込みつつも否定の対象する人もあり、自分の履歴に組み込みつつも否定も肯定もせず無視している人もいます。肯定している人は現在も人生探究を中心に据えている人がほとんどです。ある程度、対外的に自分個人を売り物とている人は、過去の人生探究に対する態度を表明せざるを得ないようですが、僕自身は現時点では個人の履歴をひけらかす状況にないので、態度は表明していません。ただ、今後、態度を表明しろと言われた時には、人生の肯定の文脈に組み込みつつ、現在は僕自身の人生の中心にないことを表明しようと思います。あの時代を否定する人も、確実にあの時代の人的ネットワーク、叩き込まれた表現の技法は影響を受けており、思想はどうあれ技法と姿勢を磨かれた一つの時代であったことは確かだと思います。
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