自分にとって不得手な分野で、できればそこに関わりたくない、少なくとも責任は負いたくないと思うことがあった。でも、内心は悔しくて、前へ進む算段をしていた。やってみると、糸口は何とかつかめるような気がした。世の中の人が捨象していることを、あえて拾い上げる作業というのは、捨象している理由を知ろうとすることだ。捨てることは勇気が要る、知識も必要、だから知らない人は手元にあるものをとりあえず残そうとする。でも、知らないもので囲まれてしまうと、自分で何が大事だと選び出そうとするとき、大事なものを持ち出そうとする局面で、判断に迷ってしまう。この先の人生で、自分の周りにある知識や経験、先人の遺した資料の価値をかみしめる時間など、おそらく、最後の場面までないと思う。そういう時を待っていたら、ガラクタにからめとられて機動力のない中、この先も生きていくことになる。いま、少しでも身軽に動くためには、動くしかないし、知るしかない。前に進むしかない。自分の欲しくないものも含めて、その日その日でかみ砕いて理解する、この原則で進んでいくことにしよう。捨てるための知識も、無駄ではない。
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