人との縁

 数年前のちょうど同じ月日に、アップロードした撮影データがスマホで表示されたり、過去の受信メールを検索していて10年前とかのメールが引っかかったりすると、最近はあまり縁がない人とのやりとりを思い出すことがある。普段の自分の生活は、日単位でさまざまな出来事が起きていて、朝起きて夜床に就くまでにいろんなことを考え、行動しているが、一週間を泳ぎ切るのは振り返ればあっという間であり、1カ月というスパンも、週というさして長さのないプールを2往復するような感覚、あるいは距離の短いローカル線を2往復するようなもので、同じような景色を車窓から見ていて、車内で本を読んだりしていると、いつの間にかカレンダーを1枚破る月末に至っている。年単位となると、スタートラインにいたときはあれほどゴールが遠いように見えても、いつの間にか年末のゴールが間近に迫っている。。年末に向けていくつかルーチンでやることがあるが、10月に入るとそういうイベントが増えて、年末を実感することになる。

 ただ、人間の一生が100年としても、1年過ぎることの重みは大きい。それは子供を見ているとその成長で実感できるし、学生生活の1年も、新入生、中堅、受験という感じで目まぐるしく立ち位置が変わっていく。社会人になると一旦、定常状態になるように感じても、30代を過ぎると急に立場や責任が重くなったり、そうならなくても周囲の環境は大きく変化していき、自身は老いの影を感じずにおれなくなる。昨日の日経新聞夕刊の岸本葉子さんのコラムにもあったが、この一年半は、基本的に人と積極的に会うことは憚られる社会情勢にあり、その間になくなった知り合いもいる。人の縁も、積極的にコンタクトを取り合うような関係でなければ、ふとしたきっかけで疎遠になり、10年も会っていないということも良くあるように思う。人生があまり長くないのに、人との縁のインターバルには意外と無頓着なものだと、それが良いことか悪いことかは抜きにしても、感じた次第である。

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