たとえば、相手が100の言葉を放ったうち95が人格攻撃の言葉だったとしても、残りの5つの言葉だけを見ることにします。他は見えなかったことにして、礼儀を重んじて答えます。”適当なことを言っているうちは、相手の関心を引くことはできない。ではどんな態度で、どのような発言をすればよいのか?”ということを学習してもらうのです。これにより、彼らもコミュニティの一員になることができます。
先日読んだ、「オードリー・タンの思考」という本の中で、台湾のデジタル大臣であるオードリー・タンの上記のようなコメントが紹介されていた。日常の人間関係においても、ふつうにコミュニケーションを図ることができない人がいる。話をすると常にマウンティングしてきて、何事にも自分の優位を主張し、こちらの言い分は聞かない。都合の悪い過去は書き換えられており、そこを主張すると逆鱗に触れる。どうやっても、自分の持つエネルギーを奪われずにはおれない。こういう、性格の偏向している人は、できれば一期一会にしてしまい、それが無理なら敬して遠ざかることができれば良いのだが、なぜか要所にいて、そこを通らずには行き来ができずに生活に支障を来す。礼を失しては往来できなくなるので、やむなく形式的に礼を尽くすが、その甲斐なくマウンティングしてきて、こちらが何らかの「負け」を認めない限り許さない。
そういうことが近いうちにある自分にとっては、このコメントは励みになった。応対の際に、5に着目して、そこと対話をするように心がけよう。難しいが、そこから正常化を糸口を紡いでいくしかない。
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