昨日は母か食べ物を何でも買ってきてくれという、本人の言うSOSの電話がかかってきました。正直、食べ物は冷凍食品も含めて、食べるものはそれなりにあるはずなので、精神的な孤独感ゆえのSOSなのだと受け止めましたが、いろいろ動いているのに、寂しさの責任をすべて押し付けるような言動を、ただでさえ疲弊している中でぶつけられるのは、さすがに参ってしまいます。
ただ、自分は理解者が周囲に複数いるので、そこは救われている面がありますが、母はそうした相手がいないのは事実。ある意味、そうした回廊は僕との間には存在せず、内面で強まる圧力を外にベントするには、回廊を通すしかない、言いたくないけど、ほかに言いようがない、というのは、理解できます。ただ、回廊もそれほど盤石ではないので、それをどこまで真面目に受け止め続けるかどうかですね。回廊を通じて圧力を下げつつも、内面の圧力が高まる要因を、自ら解消するための努力をしてもらわないと、いつまでも支えられるかわかりません。
僕のスペックに依存して、周囲が回っているのは事実なので、キーストーンとしての役割は重みを増しています。なればこそ、心身を健やかに保ち、その機能を維持するためのセルフコントロールは、重要になっていると思います。
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