二日に一度の母思い

 昨日は母のところに行ってきました。行けば気持ちは和らぐし、話をして、一緒に食事を取ることで、落ち着いてきます。母は一人でいる間に、瞋恚と愚痴の心で毒を吐き続け、内面に毒素を貯めこんでいますので、それが吐き出される状態にあり、僕はずっと、その毒に晒され続けるわけですが、それに対する反論は何の意味もなく、せいぜいその思い違いをソフトに否定をする程度しかできません。もともと、そうした人に対する不信感を抱きがちな母の性格は、年をとってから強くなり、マウンティングしてきます。

 とはいえ、母は残された唯一の肉親、自分を育ててくれた恩はあり、頼りたい気持ちは痛いほどわかります。共鳴しては振り回されるだけですが、二日に一度はしんどいけど、連絡を取るようにしています。ストップウォッチを手に、5分以内と決めて。

 当然ながら、自然体で電話しても、こちらから話すようなことはないのですが、かといって、受け身れ待っていれば、溜まった愚痴と、寂しさに対するやり場のない怒りが向けられ、収拾がつかなくなりますので、こちらから話題を提供するようにしています。近くで参加できそうなイベントの開催情報とか、母はネットを嫌悪しているので、リアルで参加できるイベント、しかも歩いて行ける場所でのイベントを探して、情報提供しなければなりません。なかなか大変ですが、これも母に心を懸ける機会と捉え、この習慣は続けて行きたいと思います。

 現在の、母と一緒にいる時間は、自分にとっては心の負担でしかないので、昨日はさすがに疲れて、ぐっすりと眠ることができたようです。

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