市立校舎6

 専門家と言われる人の中でも、国家破産という悲観論は過剰反応だと鼻で笑う人がいた。経済発展によりいずれは巨額の債務も返済できる、景気変動はあるので、解消までの時間は数十年かかるかもしれないが、大きな方向性として借金は次第に減少する、そのすがたさえ見せれば、困らせるようなことをする債務者もいないだろうと。実際にはもう少し小難しく語っており、仕組みも何人も全体像を理解することが困難なものだったので、誰もが都合よく切り取り、理解したふりをすることができた。仕組みが単純ならごまかしは効かなかったし、それは為政者にとって都合が良かっただけでなく、国民にとっても後の世代の負担に思いを致すことなくその場しのぎの対応を容認することができたわけで、後世になって当時の政府の怠慢こそが破たんの要因のように語る連中もいたが、そんなもの誰も聞きたがらなかったし、将来の負担を慮り身を切る改革を提唱しても誰も支持しなかっただろう。ある時期から破たんは不可避になっていたと思う。大人に任せられないから僕ら高校生に任せるという発想も安直だ。僕らの才能や技量を評価しているのでなく、毎月の年金や公務員の給料、その他もろもろの政府支出を滞りなく実施するための命綱として存在しているに過ぎない。じっさい、政治を高校生に任せるような国はこの国以外にない。政府は国際社会の管理下にあって裁量がないから、そのガス抜きに使われているに過ぎない。今でも政治家たちは野放図な財政支出ができなくなったことの責任を高校生である僕らに押し付けている。実質的な統治組織である国際機構の信用保証部に面と向かって反発を唱える奴はいない。そんなことで信用保証部の機嫌を損ねれば来月の支払いができなくなるからだ。さすがに半年とか一年とか、国家の存立にかかわるところまで追い込むことはしないだろうが、1、2カ月止めてみて、信用保証部に対する政府の無力さを見せつけることぐらいはできるだろう。

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