現在に生きず、自分の人生を生きずに、他人の思いの中に身を置いて、自分に対する相手の思いをあれこれ考えては、その閉じた世界での思いを拡大させていく、そういう人がいる。周囲の人が自分にのみ関心があって、自分のことをあれこれ悪く言っている、そんなふうに考えては、今も自分の見えないところで悪く言っているのではないかと思う。閉じた世界にいる者同士であれば、こうした想像は当たっているのかもしれないが、多くの人にとっては、自分の人生に直接関係がない人にそこまで思いを巡らすほど、暇ではない。だからそんな悪口を言っているとか、そういうことを心配する必要もない。と何度も話はするけれど、過去に閉じた世界に生きる人にとっては、そうは思えないものだ。これは、他人との付き合いにおいて念頭においておくべきことだと思う。自分が思うほど、他者の世界は広くないから、狭い世界を自分の及ぶところの固定概念で塗り固めて閉じこもり、そこから外の世界を見続けている。そういう閉じた世界の人の執念とか妄想は、その中で濃度を増していて、ある時、ふとしたことで接触すると、大やけどをすることになる。これは、なかなか広い世界を生きる人間にはわからない。完全に他人であれば、敬して遠ざかるという態度が一番良いのだろうが、近親者であればそうもいかないので、濃度を下げるには、限られた扉を時々開けに行って、空気を入れ替えること、それぐらいしかないだろう。傾聴の技術というのも、必要になるのかもしれない。
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