多くの現代の日本人は、生きていく日常においては、何か特定の宗教や宗派を信仰せずに生きており、自分の死後についてもそうした教義に基づく観念を抱かずに生きているのだと思う。何か長患いをしている過程で、急に特定の信仰に帰依する人もあるが、突然、亡くなった場合は、生の延長線上に死の儀式を周囲が執り行うことになる。その時に初めて、人が死後の世界に導かれるために、信仰の拠りどころとなるもの、仏教でいえば御本尊を決めることになる。そうした状況になって初めて、自分の宗派を知り、その宗派に合わせて、とにかくなぜそれが御本尊なのか、高僧であればどのような教義を説いていた人なのかもわからず、とにかく短時間で選択する。時間が多少あったとしても、そこでなくなった人のために信仰を吟味する遺族はいないだろうと思う。もし、そうしたときに、他に誰も方向性を示してくれない場合には、少しそうした教義に関する知識があれば、明らかに特殊な教義でない限り、何となく受け入れられる。これはすごいことなのではないかと感じた。
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