厚紙の折れた心

 僕の場合、内なる軟い心を支えていたのは鉄や木ではなくダンボールのような厚紙であり、厚紙がその重圧に耐えられずに折れ曲がった瞬間、僕の心もつぶされてしまった。あの時の、足元の床が抜け落ちたような感触は、今でも思い起こされるし、その直前の暴走状態も、今は恥ずかしいと思う一方で、そうしなければ内部はあまりに高温になり、心は融解してしまっただろうと思う。あれは特別な環境において起きた出来事で、今は日常に戻っているから大丈夫。通常の治療はここまでかかるはずないし、薬もいつまでも使い続けるのは依存ではないかと、「安全宣言」をしたのだからと、完全なる切り離しを進める向きも自己の内面にある。でも、厚紙は折れたことで、そこは常に弱さとなり、再び折れないように補強し、力がかからないように注意を払う必要があるので、その現実から目を背けるわけにはいかない。不安のない組織づくり、傷ついた人が回復のステージに応じて活躍できる組織づくり、人海戦術に頼る前に「なるべく」人に頼らずに即応できるシステムづくりは、僕の生き残りだけでなく、僕自身のロールモデル化にも必要である。恩師との対決もあり得るのかと思うが、僕は過去ではなく未来に生きるべきだし、いずれはそのバトンを渡して自身は別なかたちでの精神的進化を図るべきだろう。過去の安定基盤に依拠するのは、もうやめにしよう。

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