戦争で激闘の末に堅城を陥落させるような場合、陥落までの過程で敵味方双方に多数の戦死者が出る。城攻めの場合、攻める側は圧倒的に不利であり、特に戦闘の序盤は攻め手が確立していない、いわゆる「攻めあぐねている」状態なので、そこで投入される戦力の消耗は激しい。シミュレーションゲームであればデジタルデータの増減として示されるが、実戦の場合は人命が損なわれており、仮に転生してそうした序盤の先兵と入れ替わった場合、どういう心境になるのだろうかと考えてしまう。
おそらくそうした先兵は貧しい農家の生まれとかで、強制的に領主や侵略者に駆り出されたのかもしれないし、食い扶持がなく自ら志願したのかもしれない。人生の博打をかける場所が戦場にしかなく、極めて死亡率の高い先兵となっても、生き残り功成れば恩賞にあずかる、そこに希望を見出しているのかもしれない。信じがたいメンタリティーであるが、教育も受けられず、家庭で大切にもされず、そもそも時代として人の命が城や領地に比べはるかに軽かったので、そういう絶望感の中で形成された思考回路なのだろう。
窮地にある兵たちを利用して、将たちは功績を挙げる。そこに踏み台として利用する露骨な感情はないと思うが、生まれながらの絶望的な格差があり、将は将としてのつとめがあり、兵は兵としてのつとめがある。兵たちに慕われる、いわゆる名将は、兵に対し恩情はかけるが、その命はより重要な領土拡大に捧げられて当然と考えている、そこは揺るがない。
現代においても、万骨枯らして将をなすタイプのトップはおり、部下の命を奪うことまではめったにかくても、心身に大きなダメージを与え、部下たちのその後のキャリアパスを変えてしまうことは少なくない。職場におけるパワハラが表に出るのは、その将の功績が不十分であるからで、功績ある将のパワハラは職場の必要悪として黙認される。功績とそれに伴う負の影響を比較すると、トータルで組織にとってプラスにはならないことも多いが、負の影響は長期で分散し多くは水面下に隠れているので、日が当たることはない。何か精緻に追跡した研究があれば、人々を覆っているモヤモヤを晴らすのではないか。
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