誤りがないところに立つ危うさ

 組織のトップにあり、常に言語能力を磨き、知識を増やし、一つ一つの判断をするに必要な情報を集めて適切な判断を下す。困難な局面にあっても、自分の言葉を持ち、逃げずに毅然とした態度で判断をする。そうした人は、後ろは壁だけの逃れられない重圧に耐えられる、非常に優れたトップなのだと思います。ただ、そうした人が下す判断であっても、状況変化によって急に判断が正しくなくなることはあります。

 その時々の判断は最適であっても、判断が合理的であるほど、構成している判断の根拠が失われると、その分、揺らぎも大きくなります。難しいのは、こうした状況変化において過去の判断を変更することです。判断の結果として、既に人やモノを動かしており、判断を変えれば混乱が生じます。とはいえ、全知全能ではないので、進むにつれて見えてくるリスクというものはあります。そこでリスクを過小評価する傾向になるのは人情として当然ですし、何とか進もうとするものです。こういう場合、隙のないリーダーというのは、外部からの助言を論破してしまい、軌道修正の機会がなく突き進んでしまうことになりがちで、頭を下げて判断が時代に合わなくなっていることを認めるのは、難しいのだと思います。

 常に、すごい人だ、なんでもできる人だと思われることで、支持を得ているトップというのは、すごいプレッシャーなのだと思います。特に誰に対しても優位に立ち、厳しく人に当たる人は、結果までコントロールすることはできないので、最善を尽くしていると外形的に見せる必要があるため、誰よりも働いている姿勢を見せ、結果の出る前に次々と新たなことに取り組まざるを得なくなります。そういう人も「そろそろ休みたい」ということを口にする場合もありますが、休んでしまうと自分の神話が失われ、神通力的なものが失われるので、休むことはありません。ただ、周囲で巻き込まれた場合、本当にそこまでやることが人的資源の使い方として適切なのかという点は度外視して、結果的に(つまり悪意ではなく)その人の立ち位置の維持のために徒に費消させられてしまうことになります。たしかに仕事はコスパだけで考えるとつまらなくなる面もありますが、過剰品質は時代の変化の速い昨今において、過剰包装と同じぐらい無駄な作業になることがあります。スピード重視で多少適当でもいいし、自分は間違えるという前提で判断していき、その判断が適切でなくなれば、とにかく謝る、妙な辻褄合わせをしない。最近の一連の出来事を間近で見ていて、自戒も込めて、そのように思いました。

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