どうしても自分にはないものを、特に金銭的に恵まれている人を見ていると、口には出さずともいいなあと思ってしまいます。口に出して言ったことはほとんどありません。言えば自分の生き方の否定になるからです。でも心の中に芯としては残っているから、不安な気持ちの根源になります。ただ、社会全体が不安定になっている中、定職について安定した収入を得ていても、いつ突き落とされるかわかりません。20年以上前に、地方の民宿経営者が立ち行かなくなり、年取ってから都内でタクシー運転手をしているという話を聞きました。その人ではなかったですが、都内でタクシーに乗り、運転手が都内の地理をわからず、乗客である僕がいちいち指示しないと目的地までたどり着けないということがありました。人生の後半になってこれまでのノウハウを全否定された民宿経営者の方の心境は如何ばかりかと思います。また、就職氷河期は正規職員になることができず、その間の非正規雇用層が積みあがっています。僕の同世代の友人も、それなりの組織に属して経験を積めば、今頃は管理職として活躍できていたように思います。士業というのは、勤め人からすると自由なように思いますが、すべてのコストと結果責任を被ることになるので、日々のプレッシャーは相当なもので、顧客獲得ができなければ立ち行かなくなります。2馬力の人は正直、うらやましいですが、そんなり両立できる人ばかりではない。何かと引き換えに2馬力という家庭も少なくないと思います。すべてがうまくいっているスーパーコンビはごく一部です。そのごく一部さえ、どちらかに万が一のことがあれば、一気に不安定になります。
僕の場合、いろいろな面でマイノリティーなので、今のままで大丈夫とは露ほども思えませんし、その思いを共有できる人もいない。自分で考え、自暴自棄にならず、ギャンブルに走らず(これは単純なかけ事というより、高リスクのチャンスに備えなく挑戦するという意味です)、かといって今のところに安住することはなく、狭い狭い、自分の価値を最大化する道を慎重かつ確実に進んでいく。大雑把に歩みを進めて行きつける道ではありません。思いついた時だけ歩めばよいわけでもない。とにかく毎日毎日、ほふく前進するように自分をより良い方向に変えていく、やや遅きに失した面もありますが、この境地に至ることができたことを幸いと思うべきでしょう。この境地を仮に他人に話しても、心の道程を歩んでいないのでピンとこないでしょう。試行錯誤と他人に頼れない危機感と、大事な人との出会い、受け心ができたタイミングが重なり、気を入れて進めるようになりました。今はあれこれつまみかじるより、一点を深く掘り進んでいく。思考と教養のソースである本にもたれかからず、たまに換気の意味合いで使わせていただく、そういう感じで2,3ヶ月集中していきたいと思います。
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