周囲の人たちと話をすると、自分に比べ「持ち点」が多いと感じる。生まれ持った家庭環境と、そこで自然に身につけた、いわば「勝ち組」になるための行動様式のようなものがあり、知らなかったことで「勝ち組」路線を選択しなかった自分がいるように思えてしまう。
ただ、家庭環境とそれによる教育投資の格差については、自分については少なくとも完全解消、とまではいかなくても、世間一般に見て多大な教育投資を行った末の成功例と比肩し得るところまで、乗り越えてきた。あと一歩で、もう少し世間的にみると盤石な勝ち組基盤に乗れるところであったが、そこに近いところには位置している。
とはいえ、これからの時代は、従前のロールモデルは通用しなくなっていくわけで、そもそも盤石な勝ち組基盤に乗って、そこで踊り続けられたかはわからないし、その他、今自分にとって成長のエンジンとなっている様々な事象に恵まれたかもわからない。成功を絵にかいたような人も、病気やその他のトラブルで志半ばで去られた方もあり、何かを失うことで得ている人もいる。人間万事塞翁が馬、禍福は糾(あざな)える縄の如し、これらの言葉は何度でも何回でも自分の人生において出てくる、自分にとってのキングオブ故事成語であり、実際にこの故事成語に立って日々の事象を捉えると、心は落ち着きを見せる。いつも穏やかな海が広がっているわけではなく、周囲の事象に対し心は露になっていて衝撃にも弱いため、波を起こす材料には事欠かないが、そこから落ち着きを取り戻し、微差を積み重ねる毎日を送ること。日々の生活の中に自分の大目標に向けた改善のヒントは必ずある。今が厳しいとかあらまひしき姿でないのであれば、心身健やかに努めればいずれ逆に触れるときがある。これは願望ではなく無数の経験則から知る事実である。
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