娘がこの春、進学する中学校から、特定の図書について読書感想文を書いて提出するよう、課題が出ていて、指定された原稿用紙の枚数を埋めるのに大変苦労しているようでしたので、僕の方で課題図書を読んで内容を理解し、ある程度、何について書くべきかを箇条書きにして、それに娘自身の思いを入れて、完成させるようにアドバイスしました。文章の出来としてはまだまだでしたが、中学生がどれほどの完成度を求められるのかわからない面もあり、そこは娘の実力ということで、あとは任せることにしました。
この本自体は、海外児童文学の名著のようなのですが、少なくとも自分を引き込むような面白さはなく、ただ、物語の展開の中に刺激の強い要素を入れることなく、読んだ子供たちが非日常を経験できる物語を完成させており、この本が砂漠の中のオアシスのような存在であるなら、きっと本の世界に入り、心躍らせながら読めたのかもしれないと思いました。
ただ、今はこうした物語を読まなくても、ネットを通じて世界中のあらゆる場所において、さまざまな疑似体験ができるようになっていますし、読書感想文というのも、昔は一人で書くものでしたが、今はちょっと有名な本であれば、レビューはネット上にあふれており、そこを完コピはできないですが、素材を取り出してつなげれば、何となくわかった気になる感想文は書けるようになります。
僕自身は、子どもの頃は、読書感想文の課題図書的な本とは通り一遍の付き合いで、それよりむしろ、歴史の本を乱読し、自分がこの人物の立場ならどう振舞っただろうと思いをはせたり、歴史上の都市の繁栄と現代の都市の繁栄は必ずしも一致せず、そこに栄枯盛衰を感じたり、あとは精緻に架空の世界設定がなされた指輪物語や銀英伝には、中高生のころにすっかりはまりました。大人になってからも、歴史の本はよく読みますし、社会に出れば個別のノウハウとか人生論的な本もたくさん読みましたが、小説というのは、時代小説以外はあまり読まないで来ました。30ぐらいから、ある人の影響を受けて、小説も読むようになりました。今は、ジャンルにこだわらず、本を読まずにおれない習慣のようになっており、それが書く力に影響は与えていると思います。どんな分野の本でも、合う、合わないはあり、それは外見だけではわからなかったりするので、そのへん、近くの公共図書館で本をとりあえず借りられる、そういう恵まれた環境にあったことは、自分の人生にとって大きなプラスであったと思っています。
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