自分にとっての新しい日常

 今日は3月29日、いわゆる年度末の3月にあって、最後の通常日と言えるかもしれません。30日は実質的な最終営業日であるため、いろいろな作業をこの日に一区切りさせようとしますし、31日は、去る人はその準備に追われ、そうでない人も、儀礼的なイベントが行われるため、落ち着かない一日となることが多いように思います。

 振り返ると、この一年は、アクセスを踏んだり緩めたりしながらも、コロナの感染拡大は止まることがなく、経済活動の維持と感染拡大防止の両立という難題を政府は抱えて右往左往しながら、袋叩きにあってヘロヘロになり、弱体化したように思います。コロナに対して大半の人々は無力で、なすすべがないため、評論家にならざるを得ず、エッセンシャルワーカーがそうしたヒマな人たちの批判の餌食になっているさまは、非生産的だなと思ってみていました。一年経っても、コロナは手を変え品を変え人々に話題を提供し続けており、ネタは尽きない状況ながら、抜本的な対応策はいまだない状況。ただ、多くの人々は新たなネタに反応することに疲れ、ワクチンが状況を改善するか、感染拡大防止のための様々な対策が功を奏するかどうかにかかわらず、ある意味慣れてしまったように思います。

 僕自身はこうしたコロナの喧騒と混乱には直接巻き込まれることなく、この一年は比較的平穏に過ごしてきました。アルコールは、ビールさえめったに飲まなくなり、最近は健康診断や医師の受診でも、アンケートで記入する生活習慣欄で、お酒は「飲まない」を選択するようになっています。

 考えてみれば、この一年、コロナが国内最大の話題であり続けたということは、大きな水害に見舞われた一部の地域を除いて、それを上回るような大きな災厄はなかったということになります。コロナ対応に動ける人は限られているので、できればそれ以外の人の関心は薄れてくれたほうが、むしろ淡々と取り組めるので、疲弊しないのかもしれません。エキセントリックな外野の人たちの攻撃への対応とか、政治家を含めたヒマ人の相手をさせないには、別に関心を向けさせるしかない。宇宙人の襲来とか、そういう突拍子もない話にうまく釘付けにさせられないものかと思います。

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