わかりやすさに安心する

 世の中には、正義の味方のような、すべての人々にとって共通の正義を体現する存在はありません。世界を闇で覆いつくし、すべての人々を恐怖に陥れようとする、といったような、全人類にとってひとしく敵となる存在が、現実にはいないというのもありますし、現実の世界の正義は、時代や場所で変わるため、そうした存在が成り立ちえない、ということもあると思います。正義の味方は子供の世界の話であり、正義の味方が出てくるテレビ番組などを見て、大人たちは「そんなに世の中、単純ではないよ」と思ってみている、そういう構図が成り立っていました。しかし子供の世界と大人の世界というような、すみ分けはいつしか失われ、大人社会の「正義とか悪とか単純に色分けできず、それぞれに言い分がある」構図が持ち込まれ、大人と子供の垣根はなくなってきたように思います。

 一方で、現代社会は紛争や異常気象、天災などにより、局地的に破滅的なダメージを受けることは会あっても、国際社会全体としては第二次大戦以降、経済発展していて、人々の暮らし向きは良くなっています。ただ、人々の衣食住が満たされるにつれて、社会のニーズは多様化し、多様な価値観が認められるようになったことや、小さな地域単位で完結していた社会が全世界的につながったことで、世の中の仕組みが巨大で複雑なものになり、人々は社会の全体像が理解できないようになっています。ネットを通じてあらゆる情報にアクセスすることは可能ですが、情報は玉石混交しており、その取捨選択をできる能力がなければ、むしろ何が正しいかわからなくなっています。グルメサイトで最低評価と最高評価が混在すると、その店が良い店なのか悪い店なのかわからなくなるといったことがあるように、判断材料には溢れていても、それを判断する物差しがないため、情報がない時よりも、一つ一つのことの善悪や是非を判断するのが難しくなっています。

 世の中の仕組みも複雑になり、正誤の判別ができない情報の密林状態に置かれると、どこを向いても見通しがきかなくなり、不安な気持ちにさせられます。そういう時は、わかりやすい解決策を示されると、ほっとします。政治がうまくいかないのは、何か諸悪の根源のようなわかりやすい存在があって、それさえなくなれば将来の不安がなくなるとまではいかなくても、少なくとも減じる方向には行くと言われれば、そういうものかと思うでしょうし、大きな見えない力ですべてが悪い方向に行っている、あるいは特定の人たちだけがうまい汁を吸っているという話も、わかりやすい筋書きです。そうしたことを主張している人は、本気でそう思っているのか、そういう筋書きを自己の立場の強化に利用するためあえて主張しているのか、両方あると思いますが、どちらなのかはわからないですし、その主張の真偽を確認するのも、見通しがきかない以上困難です。実際のところは、大きな政治課題というのは、複雑な要因が絡み合っており、簡単にはいかない、根気よく糸をほぐす作業が必要なのでしょうが、そういう状態は不安で苛立たしい限りなので、受けが悪い。情報の真偽もわからないことが多いから、わかりやすい構図の、ある意味極端な主張があると、そこに飛びつく心理はよくわかります。

 ただ、自分の人生を、他人の主張する単純化した論理をもとに動かすことは、やはり危ういものと思いますので、地道に、一歩ずつ、自分が見える範囲で確からしいと思える方向を歩むことが、肝要だと思います。未来のことは確かに誰にもわかりませんが、歴史とか先人の経験談を学ぶことである程度、予測することはできるので、それを基本線にして進むことが、大事なように思います。

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